当店は、地域の年中行事や冠婚葬祭などに用いられる菓子を中心に作ってまいりました。
大きく変化が起きたのは4代目音兵衛の明治初期。当店の代表銘菓「月の雫」が生まれました。月の雫は甲州葡萄と呼ばれる山梨県特産の葡萄を生のまま砂糖でコーティングした菓子です。

月の雫-角Rなし

月の雫はオーストラリア万国博覧会での受賞をはじめとし、様々な賞を頂いております。さらに林鶴梁(漢学者であり旗本として幕府に仕え、その後、明治後は私塾で後輩の指導にあたる)が1846年甲府に赴任した際に、贈り物として「月の雫」を贈っていたという記録もございます。その内容が「とらや」様のホームページに記載されております。

画像出典:明治英銘百詠撰(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994627)
JIT 「画像資料室」(http://seadog.gifu.shotoku.ac.jp/users/jit/06jinbutu/15_meiji_eimei.html)

4代目はその銘菓を作り上げ、業界の重鎮とされていました。またその次の5代目音兵衛(祖父・鈴木善造)は、各業界各種の役職を担い、甲府商工会議所の会頭を勤めました。特に5代目は戦争を経験しており、様々な逸話が残っております。1930年初頭「県外の百貨店の進出を食い止めるために計画された共同店舗施設」が、頓挫し幽霊化していたビルを買い取り1937年、県内初の本格的な百貨店として開業しました。県内の商業界を牽引したとされております。

松林軒デパート写真

その百貨店にて県内初めてのエレベーターが設置され大賑わい。中には、今では見ないエレベーターガールもおり、靴を脱いで乗り込もうとしたかたもいたとか。
屋上には今でいう小さな遊戯施設があり「お金を入れて動く木馬」や「檻に入った猿」などがおり沢山のお子様の良き思い出となっています。しかし、戦争へ突入し、状況は一変していきました。米の流通統制、物流統制がとられ品薄が続きじり貧状態へ。売り場の男手も招へいなどで減っていきました。前述した木馬からも軍需産業に利用するために部品が抜かれたそうです。

歴史4

画像出典: 峡陽文庫(https://kaz794889.exblog.jp/9480810/)

そして甲府大空襲を迎えます。辺りはまさに地獄絵図。焼け野原に残った建物の1つが松林軒でした。
5代目 鈴木善造を中心とした松林軒は復興に尽力したと聞きます。地元新聞社の機材の設置場所を提供したり、山梨学院大学の開校、映画館の入居など市内中心の復興を支えました。そして松林軒は衣替え、経営権譲渡などを経て昭和後期に「甲府会館」と名を改め、市内の繁華街としての役目を務めました。

歴史5

画像出典:株式会社 国書刊行会「故郷の思い出写真集、第10巻甲府」著者 : 飯田文弥 [ほか]共編

平成にかけ、流通・消費動向の変化などを受け撤退が相次ぎ、2005年、老朽化に伴い取り壊されビジネスホテルとして生まれ変わりました。当店はそのホテル敷地内にて営業しております。本店機能は現在の甲府市国玉町に移し営業を続けさせていただき今に至ります。

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